こんにちは、ヒョーかるです。私は福祉業界で適応障害や休職、復職を経験しています。飄々と軽々と過ごせるような適応障害との暮らし方や気づきをお届けします。
今回は「怒りの感情がわからなかったな」と「やる気が出ない時の対処法からの復活法」を書いている中で「鈍感力があったんだろうな」と気づきました。
今回は鈍感力が発揮されていたなということを書いていきたいと思います。
鈍感力とは反対で、以前「HSPだなと自覚したポイント」という記事も書きました。
「HSP」という単語はあらゆる全ての物に敏感に反応する特徴だと、私自身は認知していました。しかし、過ごしている中で「反応するエリアが個々によってあるんだな」とこの1~2年で感じました。
鈍感だなと感じた出来事
幼稚園時代
秋祭りの準備で装飾物などの作成をグループでしていました。園児の私たちは画用紙に1人1人好きなキャラクターのお面を描いて、行事の当日につけるため作成していました。
別の準備をしていた私は、クラスの女の子が描いたお面を見せながら「これどう?」と感想を求められました。大きくのびのびと書かれたアンパンマンのキャラクターであるメロンパンナちゃんが描かれていました。
「女の子の頭につけるのは大きそうだな」と思ったので「ちょっと大きいね」と事実の感想を子供ながら伝えていました。すると女の子とは求めていない感想を言われたので、ムッとしてその場を立ち去り、ハサミで描いた絵をジョキジョキと小さく切り始めました。
小さくなったメロンパンナちゃんの絵を先生へ向けて「先生、こんなに小さくなっちゃった」と見せていました。ここでも私は「え、自分で切ってたよね」と心の中で思っていました。
その女の子とはクラスの中でも体が大きく、ボスというような存在の子でした。おそらく適度に関わっていたとは思います。幸い、当時はそこから嫌がらせを受けることはありませんでしたが(もしかしたらあったかもしれません、気づいていないだけで)、私はずーっと「なんで聞いてきた女の子はあんなことしたんだろう?」と印象に残っていた思い出です。
高校時代
高校時代は出来事に対しても雑貨や化粧品、何に対しても「かわいい」を言う時代でした。「おはよう」「こんばんは」と挨拶のようなレベルだと思います。
しかし、当時の私はボールペンやヘアアイテム、部活などで使うTシャツを一目見てすぐに「かわいい」と連発するクラスメイトに「このペンのどこをかわいいと見ているのか?」と毎回疑問に思っていました。
私の思う「可愛い」とクラスメイトの「かわいい」の領域がズレているのは薄々自覚していたのですが、あまりにも連発する単語に混乱し、理解できなかった記憶があります。ピンクだから可愛いのか、絵柄が柔らかいから可愛いのか?はたまた、人気なものだから可愛いのか…?おおお?
これは私の頭が硬いことを表すストーリーなのですが、共感できない私は鈍感なのかな?とも思った思い出です。
「女子の人間関係」という本に出会う
復職支援(リワーク)で「女子の人間関係」と言う本を読みました。
本には「女性の前で女「性」を出すから比較や排斥が始まる。自分の女性の部分を癒していくと周りの女性も変化していく。」と書かれていました。
私自身はきっと女性部分に鈍感で、恐らく一般的な嫌味や嫌がらせを「?」と感じることなく20代まで過ごしてきました。幼稚園時代や高校時代に共感できないことで、傷つけてしまった人がいたことも事実でした。そして、女「性」の比較勝負をしたい人、女「性」を求めてきた人にとってはつまらない人間だったと思います。
リワークでこのことに気づいてリワーク生の前で話すと「その鈍感力も才能だよ。時によっては必要なことだよ」と臨床心理士さんにコメントを受けました。
鈍感でよかった出来事
この「女子の人間関係」と言う本を読んでから「あー」と思い出しました。
色々なタイプのクラスメイトと交流していたのかなと。深く関わる人ももちろん、流行りを追うグループ、恋愛を追うグループ、文化系なものを追うグループ、アウトローな方向のグループ、独りを追うグループ、優等生グループ。
色々な人と少しでも時間を共にできて、何が好きで何を考えているのかを聴けたことはやっぱり楽しかったと思います。
最後に
鈍感力があって怒りの感情に今更向き合うことになるのは、正直やり残した感があって腰が重いし、今更かよと自分に突っ込みたくなります。ですが、きっと早かれ遅かれ、こうやって成長していくものなのかなとも思っています。
この記事が何かのお役に立てたら幸いです。また次の記事でお会いしましょう。
引用:「女子の人間関係」水島広子 サンクチュアリ出版
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