こんにちは、ヒョーかるです。私は福祉業界で適応障害や休職、復職を経験しています。飄々と軽々と過ごせるような適応障害との暮らし方や気づきをお届けします。
診断後、休職直後は「頑張りすぎて病気になったから、無駄だったんだ…」と思いました。しかし、無駄じゃなかったんだと思ったことを今回は書いていきたいと思います。
適応障害って
生活の中で生じる日常的なストレスにうまく対処することができない結果、抑うつや不安感などの精神症状や行動面に変化が現れて社会生活に支障をきたす病気のことです。
適応障害は、ある特定の状況や出来事(転勤・配転・新しい人間関係など)がその人にとっての主観的な苦悩(とてもつらく耐えがたく感じ)を生み、そのために気分や行動面に症状が現れるものです。
参考メディア
適応しすぎちゃった障害?
「うまく対処することができない」の説明を読んで、正直悲しくなりました。確かに環境に適応できなかったのは事実でした。当時は新しい仕事や家庭環境に馴染もうとし、仕事も生活もこなそうと精一杯でした。ですが、適応障害って本当は「ストレスに対しても適応しすぎちゃった障害」じゃないかなって体験者は思いました。どうでしょう?こじつけですかね?
適応するための術を自己流でこなそうとしてしまうことも原因なのかもしれません。きっと環境に適応するための知識や経験があったら、乗り越えられるところもあったのかもしれません。私にはまだレベルの高い環境適応だったのかもしれません。
そう思うと、きっと知識と経験が身に付いたら、同じ環境になっても乗り越えられるのかもしれません。そんな希望や可能性を今は少し思っています。
適応しすぎた結果
身体の感覚に無頓着になってくる「失体感症」、感情を消去するようになる「失感情症」という状態変化が出てきます。周囲に迷惑をかけられない、会社のため、家族のため、やらなければならない、という過剰適応も相まって、睡眠リズムも思考も偏った自分の不調に気づかなくなっています。(参考資料より)
私も当時はこの文面の通りの気持ちと状態でした。
「自分の感情や感覚を無くせば、様々な問題は解決する。日常が平穏になる、日常が過ぎていく」と思っていたのです。しばらくはこれが楽で適応できているって思っていました。
しかし、この状態でもコップの水が溢れる状態になりそうになり、さらに自分を押し殺していたんだよな、と。
見える化するとこんな感じかなと思います。ガラスのコップにビニール袋が入っていて、そこに水が注がれていく(コップは自分のキャパ。ビニール袋は感情や感覚を無くすことで受け止める部分。水はストレス)。コップ以上の水が注がれて、ビニール袋を立てた状態で水が注がれる。ビニール袋が倒れて、水がバッシャーンとなった時が自分が動けなくなった状態。
この状態って自分に誠実でなく、自分を大事にしていないんですよね。だから「アサーティブ」な姿勢が必要なのだと感じました。
参考資料
適応しようとした労力は無駄だった?
仕事も生活も維持しようとこなそうとしてきたことで、健康も生活もお金も人間関係も損ねてしまうメンタルヘルス不調。ボロボロになるまで私がやってきたことは無駄なことだったんだと思うこともありました。
というか「あぁ、仕事も生活も守れなかった。誰がこの生活を守るんだ」という自責が、押し寄せる津波に溺れるように当時、診断後は過ごしていました。
私はここで悪夢を見ました。追われるような自責を更に増幅させる夢でした。ハッと心地悪い目覚めに窓をみると夜明けでした。夜明けをみると私の頭には尊敬するアーティストの、ある曲が流れてきて「そうだ、これは私の夜明けなんだ、燃え尽きてこそ始まるんだ」と思えた瞬間がありました。
+αはあなたの価値になって助けになっている
「頑張りすぎてしまって、ここ(クリニック)にいるけれど、その+αはあなたのボーナスになります。その+αが役に立つことがあるので無駄にはなりません」
リワークのビジネストレーニングで言われて自分を肯定し、認めることができました。
休職時、仕事場では「ゆっくり休んでください」と上司から声をかけてもらえたこと。「復帰するなら自分のチームに入れて欲しい」と上司に提案した同僚がいたこと。復帰時は「またよろしくね」と声をかけてくれた同僚がいたこと。これが+αの助けなんだろうなと思えました。
こちらでも書いています。
以上が、頑張ったことは無駄じゃない、と思えたことでした。
この記事が何かのお役に立てたら幸いです。また次の記事でお会いしましょう。
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