こんにちは、ヒョーかるです。私は福祉業界で適応障害や休職、復職を経験しています。飄々と軽々と過ごせるような適応障害との暮らし方や気づきをお届けします。
今回は、適応障害と付き合ってきての暮らしを5つに分けて書いていきたいと思います。今回は5つ目の最後になり、「考え方編」で思ったことを書いていきたいと思います。こちらは実生活、仕事の両面で実践を積んで、身につけたことが多いです。
否定より、やれることはやってみる
以前は、新しいものや効果がわからないものは「いや、待って」と一度否定していました。
いつからか、復職後からなのですが「やったことがないものこそ、やってみて結果を知ろう」という考えが出るようになりました。
「休職して果たして復職できるのか?」という見えない不安の中 「睡眠を整えるために、復職するために、やれることは全部やってやる」 という決意が私を大きく変えたのかもしれません。
そのおかげで、SNSも触れられるようになり、次々とアイディアも出てくるようになり、仕事で課題が見つかった時は「これをやるには、どうしたらいい?」と切り替えられるようになりました。
「欲しい」を手放し「他に変わるものないかな?」
これは食生活が主になります。一汁一菜生活や1日2.5食生活をしていると、調味料がグンと減りました。そして、買い足すことが億劫になってきました。
焼肉のタレやドレッシングは1瓶買っても使いきれないし、もしかして作れるのでは?とレシピを探し始めてから、あえて買わずに作ったり代用することに慣れてきました。
ポン酢はレモンとお醤油、甜麺醤は味噌とお醤油、砂糖、胡麻油を混ぜる、意外に代わりになるのです。これを続けていくとだんだん「なくてもいいよね?」となってきました。
普通ってなんだろう
こちらでも書いています。
福祉の仕事をしていると「普通」という基準が、私はどこかに行ってしまいました。
みんな普通じゃないし、みんな何かしら好きなこだわりがあったり、とても苦手なもの(例えば、数字とか人の気持ちを推しはかることとか)があるんです。
それが尖るくらいあるか、まろやかにあるかの違いなんじゃないかなと思うのです。
断定より可能性を含める
「絶対~〜だ」という表現を封印してから、頭が柔らかくなった感覚があります。
「~かもしれないね」と自分にも誰かと話す時にも遊びを持っておくことで、動きやすくなる感じでしょうか。
明確なことは断定しますが、自分が体験してないことや聞いてないこと、人からの情報は「そうかぁ」とぼんやり空中に置いておきます。これだ!と断定したり、決めることで楽になることもありますが、決めることで苦しくなることもあるんですよね。
同じ人だから伝わるものもあるだろう
こちらは仕事で主に感じます。障害者福祉の仕事をしていると、支援し続けても変化や成果が見えないケースも多いです。感情労働をしても何も変わらないことは、体力エネルギーより数倍多くすり減らされます。心が折れます。
「普通ってないんじゃない?」という考えもある中、なんとなく私は
「同じ人間だしな、感情くらいは伝わるものもあるんじゃないかな?」と社会人1年目からぼんやり思っていました。
おそらくこの体験が多いに影響していると思います。
これは数値でも視覚でも図れませんが、関係性が積み上がってきた時に体感します。
例えば、利用者さんを運動のプログラムに誘う時、 職員Aさんだと「うん」と言って参加するけれど、 職員Bさんだとそっぽを向く。 職員Cさんだと顔を合わせただけで、職員の方に来る。
そんな感じです。対人援助職の面白さです。
今もこっそりこの思いを忍ばせて、支援をしています。まぁ、伝わらない人は伝わりませんけどね笑。
負の感情も、やる気がないのも自分
以前は、負の感情は表には出さずに自分の中で否定をし、我慢をしました。やる気がないのはダメだ、ミスをするのはダメだと捉えていました。
加えて、自分の負の感情に鈍感だったのかもしれません。自分は何が苦手なのか不得意なのか、わからなかったのかもしれません。今は少しずつ知ってきました。こちらで書いた(有料記事)
幼少期の体験も少なからず影響していますが、私は頑張り続けないと人並みになれないんだ、という気持ちでいたこともあります。ダメな自分も自分だよと認めてあげることが、自分を楽に、健やかにしてくれました。
最後に
適応障害の暮らし「服・食事・コミュニケーション・生活リズム・考え方」の5つに渡って書いてきました。適応障害と診断を受けてから復職をし、5年間適応障害と付き合ってきてどうだったか、どう変化したかを一度まとめてみたかったものでした。そして、日常生活に取り入れるとしたら「こうできるのかな?」と結びつけて紹介したかった内容です。
元々は安定して長く勤めるために取り入れた知識や実践でしたが、生活にもつながること、活かせることの方が多いのではないかな?と思い続けていました。これは完成形ではなく、年代や生活環境、家族環境、年数で変わっていくものだと思います。5年後、10年後は全く違う暮らし方になっているかもしれません。現時点での「私の適応障害との暮らし方」になります。
私が辛い過去の話をした時、ある方から「それで良かったんだよ」と勇気をいただいた言葉があります。
「その時はその選択が、精一杯だったんですよ」
これを書いている時も、この方法は今のありったけ、力一杯なんだと思います。
最後まで、もし読んでくださった方がいらっしゃいましたら、お時間を割いていただき、本当に感謝いたします。
この記事が、自分自身を認められるきっかけのお役に立てたら幸いです。また次の記事でお会いしましょう。
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