こんにちは、ヒョーかるです。私は福祉業界で適応障害になり休職、復職を経て、週末は借りている畑の世話をしながら現在も同じ業界で働いている30代です。
今回は4年間かけて少しずつ減らしたり、置き換えたりして変えてきた私の考えをまとめてみました。「リワーク(復職支援)での学び」と言うカテゴリーでも詳細は書いていますが、私なりにこれは自分の身になっている、使えると思うものを挙げていきたいと思います。
~できない ~しない
これはカウンセリングを受けている時に身についたことです。カウンセリングではNLP(神経言語プログラミング)と言う新しい心理学を使った手法を取り入れられていました。
言葉は脳にインプットされるため、「できない」と言うと言葉通りに「できない」自分になってしまうし、「これは~~しない」と制限して抑えると、「~~しちゃダメだ!」と抑える方に意識と集中が向いてしまいます。
加えて「~~しちゃダメと思ったのに、やってしまった自分はダメだ」と自分を責める思考になってしまいます。そのため、以下のように書き換えていきました。
「できない」は「~はできる」 例:私は複数のことを同時にできない →1つのことはコツコツ進められる 「しない」は「~にしよう」 例:悪いことは考えない →悪いことは考えていいから、1度隅に置いておこう
こうすることで自分を認めてあげる経験にも繋がり、意欲が高まっていきました。
考え過ぎること
人によっては1つの内容や出来事に対して、網の目やねずみ講のように考えが浮かぶことがあると思います。
私はこの1年で「繊細さん」と呼ばれるHSPの本やメディアに触れたことで「あぁ、私はこれか」と納得ができました。自己肯定感が低いことやネガティブな考え方が幼少期からあったこと、考えすぎ、良く言うと思慮深い傾向であることがストンと腹落ちしました。考えすぎは多くの仮説や可能性を立てられる、よい能力だなと思うようになりました。
こちらはビジネストレーニングで学んだ価値観を広げる「客体化」が私にしっくりハマりました。
「考え過ぎてわからない」 →「わからないなら、少し動いてみよう」 例:問い合わせてみる 行ってみる 話を聞いてみる 体験してみる ハードルが高ければ「その場所まで行ってみる、10分だけカフェで作業してみる」と段階を分解して考えると良いかと思います。
自分が動いて経験して感じたものは自分だけのもの。動いた経験は価値観になります。未来の不安が少しみえてきます。
相手はどう思うだろう
日々過ごしていると相手の仕草や言動、行動、表情で
「あれ?何かあった?」「何か私しちゃったかな?」と感じることがあります。
そこにフォーカスを顕著に当ててしまうと「相手はどう思うのだろう…?」と人の目が気になってしまいますね。私も幼少期から良い子ちゃんをしていたので、とってもそのような気持ちが強かったです。
こちらはリワークで「アサーティブコミュニケーション」を知って、日々取り入れたことで変化してきました。
「相手はどう思うだろう」は →「受け取った印象や感覚は相手のもの」と捉える。 「私はこう思うけど、あの人はどうか思っているのかな?」 →「私は~と思う」と伝えてから相手にも「~のことどう思った?」と聞いてみる。
他人軸を常にしていると、自分の気持ちを置いてけぼりにする習慣がつきます。
復職して勤務状態が安定した頃、「嫌われる勇気」の書籍を読みました。その中の「課題の分離」の項目が私にめちゃくちゃ染み渡りました。「あの人は怒ったようだけど、怒りで受け止めたのは相手の課題だよね」と一呼吸置いて考えられるようになりました。
今日は〜〜で終わっちゃった
こんな感想が出る時って、他にもやりたかったことあるんですよね。
ですが、何もしてない1日ではないです。1日を振り返ってみてください。朝は起きましたし、仕事や育児、家事を多くこなした。嫌なことがあったけど、うまく交わした、なんとかやり過ごした。無事に家に帰ってきた。1日無事に過ごした。
これで充分だと思うようになったのは「ゼロ秒思考」の書籍情報を参考に、オリジナルの「朝の思考書き出し」をして、書く内容が変化してきたことから気がつきました。「こんなに日々頑張っている自分がいるんだな」と見える化することで認められるようになりました。
また、睡眠外来で眠るリズムを整える手順を一つ一つ休職中に行うことで「あぁ、今日はこんなに寝る準備をするために体操もしたし、時間を見てお風呂にも入ったんだな。やってるじゃん」と1ミリずつ自分に声をかけて言っていました。
例:「今日は仕事だけで終わっちゃった」
→職場に行けた。仕事もした。充分。
絶対〜〜だ
様々な経験をしてくると「絶対〜〜だ」と確信を持てることもあると思います。
ですが、特に自分が見聞きしていないことについて、「絶対」と言い切れることは本当にあるのでしょうか。
特に人に意見や情報を求められた際に「絶対」を使うと、人によっては「あなたが絶対って言ってたじゃない」と相手には受け取られます。
リワークで習った認知再構成法がここで使えます。
例:「絶対この人〜〜だよ」
→〜〜な傾向もあるかもしれない。
自分に対しては「絶対と思っていたもの」がそうでなかった場合、心理的な衝撃が大きくなります。「~~かもしれない」と余白、余裕を持っておくことで自分へのダメージも減らすことができます。
普通ってさ
これは対人援助の仕事や休職、復職、離婚で培った経験が多いです。普通はこうだからこうだよねと当てはめようとするとうまくいかないことや苦しいことが多すぎて、普通はないものと私は思いようになりました。
一番のターニングポイントは「本当に〜〜したいのかな?」と自分に問いかけて、「〜〜は今じゃない」と気づいたことでした。
2番目のターニングポイントは、対人援助職へ就職したての際に「普通って考え方を持っていたら、パンチを食らうな」と気づいたことでした。そこから勤め続けていく内に「普通ってなんだ?」と考えるようになりました。
ライフステージや風習、人間の発達課題と一応のガイドラインはありますが、私は合わなかったものもありました。私の場合は「普通はなくて、みんなが特殊だよね」と思ってから考えが柔軟になりました。
最後に
自分の習慣や考え、価値観を変えていく(加えていく)ことは時間がかかります。私も数年かけて上記の考えを減らしていきました。こんな感じで、以上6つが楽になったなと思う減らした考えです。
この記事が何かのお役に立てたら幸いです。また次の記事でお会いしましょう。
コメント
「普通はなくて、みんなが特殊だよね」は、私も取り入れたい考え方◎と思いました!そう思うと何か、許容範囲が広がりそうですね。
私は「誰も〜〜ない」とか「何も〜〜ない」といった全否定型のつぶやきが、よく浮かびます。
本当に誰も?とか、何も?と問うたり、〇〇な人もいるけど、◯◯でない人もいる、よね、と視点を中立に戻したり、工夫して行こうと思いました。
きゅーさん
取り入れたい考え方◎、許容範囲が広がりそうとのコメントありがとうございます。
「〜〜しない」の全否定型のつぶやき、私もあります。「本当に誰も?」「何も?」と問いかけ始めると、私は少しずつ考えが柔軟になったなと感じています。
リワークの学びが多いので「リワークの見つけ方」なんて記事もどこかで書いてみようと思います。