復職するまでに何やった?

広告

復職の経験談

こんにちは、ヒョーかるです。私は福祉業界で適応障害になり休職、復職を経て、週末は借りている畑の世話をしながら現在も同じ業界で働いている30代です。

今回はリワーク(復職支援)で習ったことを書きながら、「実際、復職したい人が知りたい情報は何かな?」とぼんやり浮かびました。適応障害と診断を受けて、通院しリワークへ通うまで何をしていたかを書いてみようと思いました。

スポンサーリンク

安心できる環境下を確保した

当時の家庭環境では私は万全の環境下でなかったため、実家で整えさせてもらいました。

甘えましょう、こんな時は助けを求めていいと思います。家族が難しければ、安心出来る友達に協力を仰ぎましょう。

どうしてもそのような繋がりが見つからない場合

生活困窮者自立支援

様々な事情で暮らしにお困りのかたのための相談窓口があります! | 政府広報オンライン
働きたくても仕事がない、家族の介護のために仕事ができない、再就職に失敗して雇用保険が切れた、あるいは、社会に出るのが怖くなった……。さまざまな困難の中で生活に困窮している人に包括的な支援を行う「生活困窮者自立支援制度」が平成27年4月から始まりました。就職、住まい、家計など暮らしに悩みを抱えた人は、一人で悩まず、まずは...

行政に頼ることは、とても気が引けるかと思います。とても受け入れ難い気持ちになると思います。人に頼る、相談することが少ない人は自分の力でどうにかしようとします。復職は1人の力では出来ません。人に頼る、相談することも経験していくことで少しずつ慣れていきます。

睡眠外来のアドバイスを全てやった

メラトニンが出るマイスリーという薬を飲みながら「睡眠リズムの作り方」の記事を取り組みました。

元気になるために食事を罪悪感なく摂った

の記事のように私は思っていたので、支えてくれる家族や人たちのためにも「まず元気な姿になろう」と思いました。時に食事を作って家族に振る舞いました。食事を罪悪感から感謝を伝えるものと考えるようになりました。

通勤時間に駅まで疑似出勤をした

通院のみの時期に行ったことです。リワークが始まるまでに体力を作ることが「今、私がやること」だったので、「睡眠・食事・体力」を少しずつつけることを日々負担ない範囲でしました。疑似出勤した後は、朝から空いているカフェやファーストフード店で15~30分読書をして帰宅しました。もうこれが出来たらその日は満点です!

ラジオ体操を恥ずかしがらずに続けた

夏休みの学生じゃあるまいし、と思っていましたが、侮らないでと言いたいです。動画を見てエクササイズする元気もないんです。何も考えずに順番なんだっけ?なんて思い出すことも億劫なんです、この頃。ラジオ体操は人によっては体に染み付いています。全身をまんべんなく動かせるんです。好きなトレーナーさんがいる人はいいです、そのトレーナーさんのエクササイズをしてください。私のように運動は苦手、外も出られないという人は体操をしてみてください、ほんの少しでも気持ちがスッキリします。

以上です。

睡眠リズムが1ヶ月程で整って睡眠外来を卒業となり、リワークへ進むことになりました。

自立支援医療の受給者証を取った

ここで私は自立支援医療(精神通院医療)の受給者証を取得しました。睡眠外来やカウンセリングの特別外来は適用にはなりませんが、主治医の診察やリワークで使いました。1割負担になるため、週5日通うリワークでは取っておくと医療費を大きく下げられます。一度申請すると2年間有効です。

初めて取る受給者証でした。精神障害の方が持っているものという印象であり、仕事でも見かけることがあったため「私自身もこういうの使う日が来たのか…」と正直始めは受け入れ難かったです。

ですが「適応障害」と診断を受けて安心した気持ちも嘘ではありませんでした。

「今の自分を受け入れる場面なんだな」と否定したり絶望しながら受け入れました。きっと祖父母が介護保険を受けた時の気持ちもこんな感じだったのかな、と思いました。

*自立支援医療については自治体で異なるため「自立支援医療 ~~県~~市」と地域で検索してみてください。クリニックでも教えてくれると思います。



当時のタイムスケジュール

通院のみの時期、おおよその予定はこんな感じでした。

6:00起床(7:00と前後する日もありました。)朝食
7:30疑似出勤、読書して帰る
午前新生活への作業や準備、睡眠外来やカウンセリング
12~13:00昼食、睡眠外来やカウンセリング、好きなことする
16:00体操か散歩、夕食
20:00入浴、睡眠外来のノートを書く
21:30睡眠準備

リワークへ通う頃は

6:00起床、朝食
7:30疑似出勤
9:30リワーク開始
12:00昼食
13:00リワークの復習を図書館でする、クリニックのビジネストレーニング、好きなこと
16:00体操か散歩、夕食
20:30入浴、睡眠外来のノートを書く
22:00睡眠準備

こんな感じでした。午後もリワークで自習時間があったり、同じ場所でビジネストレーニングを受ける日もあったりしました。午後も活動できるようになると、リワークとビジネストレーニングの状況をクリニックで共有し、主治医の診療で産業医面談に向けて準備しました。

そして「何を期待しているか知ること」の記事に繋がります。

リワークでの心持ち

リワークに通っていると仲間がどんどん卒業していく姿を見届けます。その姿はやはり素直に羨ましいのです。早い人は2週間で復職していましたが、おおよその人が数ヶ月時間を共にします。

ですが、ここで焦って「早く復職したいです」とは切り出しても体と心が追いついていません。感情で行動しているため、主治医やリワークスタッフにはOKをもらえません。

ありきたりですが「人は人、自分は自分のペース」なのです。同じ病気でも発症原因や環境、心理状態は皆バラバラです。そのためペースもバラバラです。

「今の自分自身をどれだけ受け入れているか」医師もリワークスタッフもそこをみています。

私は職場の産業医の面談予定が合わず、半月予定より遅れての復職でリワークは2ヶ月半通っていました。ですが、不思議とその頃の私は焦りの感情がありませんでした。

むしろリワークに通える状態になった時「毎朝通える場所、居られる場所があることはありがたいな」とふわっと思ったのです。所属欲求が満たされて安心したのだと思います。そのありがたさがあったため「職場へ戻るためのボーナスタイムなんだろうな」と前向きに捉えていました。

産業医との面談日まではリワークに通うか面談日まで休むか選べるのですが、スタッフのアドバイスと現状のコンディションを維持していきたい気持ちが私の中であったため、産業医面談の日まで通い続けました。

ゴールは「再発を防ぎ、安定して勤めること」

早く復職したい(ゴールしたい)気持ちは痛いほどわかります。お金も減っていくから不安ですよね。お金が減る精神的ダメージも痛いほどわかります。ですが、

ゴールは「再発を防ぎ、安定して勤めること」なんです。

大阪府のクリニック放火事件がきっかけで当時のリワーク仲間のグループラインが3年ぶりに動きました。3年経ったリワーク仲間も再発する人、グループラインでも応答があるのはほんの数人です。これが現実なんだなと突きつけられました。

また、通っていたリワークではディスカッションのワークもあり、他人の考えを聞いて価値観を広げるきっかけに多く役立ちました。加えて自分の考えを言う必要もあるので、自分のことを話すのが苦手な私はトレーニングにもなりました。

価値観の共有をしていくと「これはいいな」「これはまだ私はわからないな」と受け入れられるものと受け入れ難いものもあります。それを知ること、気がつくことが職場復帰後にとても役に立ちました。

自分の価値観や考えが強く出てしまうと、人と衝突したり嫌悪感、否定的な感情が出てきます。

「そんな考えもあるのね~」と柔らかく受け止められるとストレスとして認識が薄くなっていきます。

「あぁ、また否定しちゃった、しないように他の人の意見も聞き入れなきゃ」は「べき思考」なので、と言うよりは「これは私の中では認められないものなのね(今の自分の気持ちを認める)。こんな考えの人もいるんだね」と思えたら大きなチャンスです。

長々と書いてしまいましたが、以上が復職するまでにやったことです。

この記事が何かのお役に立てたら幸いです。また次の記事でお会いしましょう。

コメント

タイトルとURLをコピーしました