こんにちは、ヒョーかるです。私は福祉業界で適応障害になり休職、復職を経て、週末は借りている畑の世話をしながら現在も同じ業界で働いている30代です。
今回は復職するまで何やった?の後、復職してから何やった?を書いてみたいと思います。
ここも復職する方にとっては知りたい部分かなと思いました。
私の経験談のため、万人には当てはまらないかもしれませんがお伝えしたいと思います。
はじめに
休職中は1ヶ月ごとに電話または職場へ出向いて上司と話(面談)をしました。そこでは現在の自分の心身状況やリワーク(復職支援)でやっていることを話しました。
職場へ出向いた時は冷たい視線を送る人もいました。気まずさはありましたし、いけないことをした気持ちにもなりました。
ですが、「今、期待されていることを私はするんだ」と焦点を合わせることで乗り切りました。
また、私は相談業務の部署を担当中に適応障害を発症しました。復職者は基本的には同じ部署での復職になります。
私の場合は度重なるストレス環境、1人でこなす業務量が超えていたため主治医と相談し、チームで行う現場業務の部署へ移りました。元々現場業務の部署から相談業務の部署へ移ったため、元の環境に戻ったという形です。
復職が決まってから一度挨拶に行った
当日にいきなり出勤するのは心理的にもハードルが高いです。10~15分でもいいんです。明日からよろしくお願いしますという挨拶をしました。分けられるお菓子を持参していきました。
産業医面談で挨拶をした内容を職場でも伝えた
「4ヶ月お休みし、多大なご負担をおかけしました。これからは職場で期待されていることを認識しながら、少しずつ業務に携わっていきます。よろしくお願いします」と短めの挨拶をしました。
半日勤務からスタートした
私の職場は「復職プログラム」という制度がありました。最長6ヶ月かけて勤務時間や業務量を調整しながら職場復帰へ定着するプログラムです。
毎日行った業務の日誌提出
1~2週間ごとの上司との話し合い(面談)をする中で
半日から30~1時間ずつ勤務時間を増やしていきました。
この時は「早く8時間勤務に戻さなきゃ」というプレッシャーは出て来ず、自分の体に正直になることが大切だと実感しました。また月1回来訪する嘱託医の面談も受けました。
復職プログラムは期間内に終えられるだろうと私自身、そして上司も思っていたのですが、結果6ヶ月全て使い切って復職をしました。期限内に終えられたので良いのです。
予想は外れることもありますし、復職することは簡単なことじゃないんだと今も感じています。
発熱で休んだ
復職1週間は環境適応のため頭と体の疲労度が倍に感じ、ちょうど1週間後に熱を出して休みました。
実は社会人1年目も入社1週間で環境適応のため2~3日熱が出て休んだことをこの時思い出しました。元々そのような体質だったんだなと改めて思い知らされた出来事でした。
当時は周りから2~3日休んで「あの子大丈夫?」「ゆとりだからかな(ゆとり世代じゃないんですけどね)」という言葉も耳にしました。そりゃそう思うわなと今なら思います。
現在も新入社員や中途社員が入社したてで休む様子を目にしてきていますが、なんとなく「環境変わるからそうだよね」とこの気持ちや感覚がわかるようになりました。
自分の課題が浮き出て、認めてあげた
私の一番の課題は
「気がつきすぎて抱え込む量を増やしてしまうこと」
「断れないこと」
「完璧に完成させようとすること」でした。
一緒に働く仲間もとても気を遣っていることがヒシヒシと伝わっていました。その空間というか感覚の中で自分のペースを保つことの難しさを感じました。その中で自分を認めるきっかけになった出来事がありました。
現場業務で利用者が食べ終えたお昼ご飯の食器を片付けている時に落として割れてしまいました。その時頭が真っ白になって動けなかったんです。
ですが、近くにいた職員がさっと掃除をしたり、必要な人員に報告や指示を出してくれたおかげで済みました。その時、何もできなかった自分にびっくりしていました。
それは自己嫌悪ではなく「私、今は判断できない状態なんだな」と受け止めることができたのです。
そのため、自分が現在担えることを認識するきっかけになりました。
リワークを受ける前だったら、「こんなこともすぐにできないでダメな人間だ」と自己嫌悪するのみでした。周りが助けてくれること、自分だけで仕事しているわけではないことを遅かれながら肌で実感できたのです。
そこから「完璧にやらなくていい、できるかわからないことはやりながら相談すればいい」と思えるようになりました。
「わかりました」→「やってみます」と返答してみた
ビジネストレーニングで習ったものです。
相手の依頼を100%理解していないのに「わかりました」と答えてしまうと相手は全て理解してくれたものとみなしていく人もいます。それは私です(笑)
「やってみます」にすることで疑問が生じた場合、相談をしやすくなります。
一緒に働く仲間に「できた?」と聞かれて「できました」や「ここはできました」と伝えることで指導側の仲間も私の状態が明確になってきます。
この言葉は「リワーク卒業生の今」という登壇を卒業したリワークで話したところ「自分も使ってみようと思った」との感想を複数のリワーク生からいただきました。
3ヶ月経って挫折。フロアを変えてほしいと意思を伝えた
順調に勤務時間も伸び、業務の流れも慣れてきたころでした。私の配属先は行動障害という特性を持つ利用者のフロアで、他害場面を見たり受けることも日常な現場でした。
他害を受けている利用者がいて、それを止めに入ったボランティアの方がその人から他害を受けてしまった場面でした。職員は私1人の状況で応援を呼ぶことしかできませんでした。応援の職員がすぐに対応してくれましたが、その場面が鮮明に記憶されました。
その出来事より数日経ってから、度々私に他害をしていた利用者2名から同時に2発他害を受けて気持ちが折れてしまいました。
「なんで私がサンドバッグにならなきゃいけないの」と心の中で本音が浮かんでいました。
福祉業界の仕事している立場からすると失格な気持ちを抱えてしまったと思いましたが、福祉業界でなくても同じ気持ちを抱えたことのある方、いらっしゃいませんかね?
その日は気持ちも立て直せず涙が溢れていました。早退し、通院をして出来事を伝えました。その診察中に自然と出てきた気持ちがありました。
「フロアを変えてほしい。きっと私が動くことで他の職員が補充される迷惑がかかると思う。気を遣ってフォローしてくれた同フロアの職員には申し訳ない気持ちがある。けれど、今、私は復職中なんだ。勤め続けることが求められていることなんだ」と思ったのです。
主治医に「フロアを変えてほしいと上司に相談してみます」と気持ちを伝えることができ、診察後に職場へ正直な気持ちと要望を伝えることができました。
感謝を伝えた
フロアは変更することができましたが、それに伴って関わっていただいた人への感謝は一人一人に伝えました。基本的な礼節ですね。
嘱託医面談を続けた
フロアを変更したことで、トラウマとなった場面や利用者に関われなくなり、苦手なことが増えていく事例もあると、私はそれに該当すると嘱託医は認識し難色を示していました。
それも可能性としてはあると思いますが、私が大事だと思ったことを否定されて嘱託医への信頼は落ちました。面談を受けることを辞めようかと一瞬過ぎりましたが、逃げることはいやでした。主治医に話してアドバイスをもらい「ま~た色眼鏡かけて私のこと見てる」と心の中で思い、面談はとりあえず受けつつ、フロアを変更したことで順調な姿を見せ続けられればいいんだと思うことで対処ができました。
復職2年目からはリワークの知識を使い始めた
10ヶ月目からサブリーダーになり、後輩がミスをした時は
「今はどう考えて支援したのですか?」と質問をして相手がどう考えて動いたのか知ることから始めました。「~~と思ってそうしたのですね」と受け止めました。
そして修正が必要な場合は「~~は~~な場合もあるので~~するとより良くなりますよ」と伝えました。
また業務を依頼されて抱えきれない時は「今、~~をここまでにやるよう言われています」と取り組んでいる内容を伝えて、断る経験を積みました。そして自分の気持ちに率直になる姿勢を継続しました。
今まで泣くことや辛いことを話すことが私はできませんでした。復職3年目はリーダーになりましたが、部下の育成に骨が折れて再発しそうな時期がありました。年下の信頼できるサブリーダの前で弱音と涙しながら気持ちを吐露させてもらうことができるようになりました。
そして「調子が悪いので、いつものように動けないと思います」とエネルギーカスカスの状態で後輩であるグループの仲間に告げることで頼る経験をしました。
この時も「1日1回」何処かの場面で使えたらOKと自分への期待ハードルを下げました。
毎回トライ&エラーの取り組みでした。
やりたい業務を1回やった
休職前に、相談業務の集まりで体験した「ワールドカフェ」という対話方式のワークショップを単発で職場で開催していました。
私自身とても楽しいと感じたアイディア集めの場で、職場でもやったら面白いかなと思い、出勤が安定した2年目に行いました。
やりたい仕事も1つあったことでハリが出て、出勤するモチベーションを上げられたのかと思います。
最後に
とても細かく小さなことなのですが、振り返ってみると大事な出来事ばかりだなと思いました。これは私の場合なのですが、復職する方へのヒントに繋がれば嬉しいなと思います。
この記事が何かのお役に立てたら幸いです。また次の記事でお会いしましょう。
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