こんにちは、ヒョーかるです。私は福祉業界で適応障害や休職、復職を経験し、転職をしました。飄々と軽々と過ごせるような適応障害との暮らし方や気づきをお届けします。
今回は、家族がメンタル疾患を抱えた時、思ったことについて書いていきたいと思います。時々ブログ内でも書いていますが、端々であったため、まとめてみたいと思いました。
はじめに
私は結婚生活をしていた時、パートナーが適応障害になりました。
私はこちらの記事でも書いたように、
過去に一度深い抑うつ状態になったことがあったので、気力がなくなり弱音を吐いているパートナーに心療内科の受診を進めました。初診だけ同席した記憶があります。
その際、医師に家族として言われたことは「いつもと変わらず接してください」でした。これが私はよくわかりませんでした。
私自身が深い抑うつ状態になった時、家族が手厚く支えてくれたようにすればいいと思ったのです。これは1つ落とし穴があり、私は家族だけで支えられると思い込んでしまいました。
そして「いつもと変わらず接して」と言われても、だんだんと関わっていく内に、いつも通りになっていなかったのです。
「パートナーが安心できる場所にするために、笑顔でいなきゃ。仕事のことを尋ねると口が止まってしまうから、触れないようにしなきゃ」
また、私はパートナーから「私とパートナーの両親には自分のことを言わないで欲しい」と言われ、それがパートナーを守ることだと思い込んでしまいました。ばか素直すぎました。今、思うと破滅の道に行くだけだったのです。
当事者家族になると
「パートナーが安心できる場所にするために、笑顔でいなきゃ。仕事のことを尋ねると口が止まってしまうから、触れないようにしなきゃ」
波風を立たせず、穏便に済ますことが「いつもと変わらず接する」中で、安心な環境だと思い込んでいました。
でも本当は、私自身もメンタル疾患を患った経験を経て、
「知られたくない気持ちもわかるけれど、知ってもらう方が安心であるよ」と。
拒否をされたとしても、状況として伝えておくことが家族を守ることに繋がる。
それができなかった。今だからわかる。その時はできなかった。
正直、書いていて後悔というか、過ぎたことのもしも話しばかりで、書いていて意味ないんじゃないかと思っていますが、伝えたいことはこの2つです。
家族で全部支えすぎなくていい
一人で支えようとすると、支える側に負担がいきます。
感情を我慢したり、自分よりも相手を優先していきます。健康的ではなく、対等な関係性ではなくなります。
ここであれば主治医や家族会、ピアカウンセリングなどに頼って情報交換をすると、支える側も客観的な視線に立ち戻れるし、家族の意見だけでなく、客観的な意見をメンタル疾患を患った家族にも伝える情報が増えます。
そこを受け入れるか拒否をするかは疾患を患った本人の受け入れる柔軟性次第なので、必ずうまく行くとは限りません。柔軟性がないのでメンタルを患ったと私自身は身をもって解釈しています。
身内には言えないこともあるのは事実です。そんな時に第3者の存在を頼ると良いのだろうなと思いました。
理解しすぎなくていい
こちらの記事でも書いていますが、
私はパートナーが適応障害を患い、共に過ごしている中で私自身も適応障害になりました。
支える側、患う側、どちらの立場も経験しました。
正直、患う側からすると安心した環境を整えてもらいたい気持ちはとてもあります。
ですが、原因となる環境を離れると心身共に回復してきます。パートナーの状態は私が仕事に行っている間は見えないのでわかりませんでしたが、帰宅してパートナーを見ると、ソファーでスマホを見て寝転がっている状態から立ち上がって、元気に家事をしていました。好きな活動は外出もしていました。仕事の話をすると、うーんと覇気がなくなる。家で主夫をする方が楽なのではと尋ねると、そういうわけではない。
この繰り返しで本当に病気なのか疑う気持ちも積もり積もって膨らんでいました。
1人でいた時間にパートナーが何を思っていたか、今となってはわかりません。私はパートナーを理解しきれていませんでした。というか理解しきれないと思いました。
メンタル疾患の一番厄介なところは「目に見えにくい」ことだからです。胸の内はAI技術で代わりに説明してくれるなんて進歩しない限り、本人が文字やジェスチャー、声色、仕草、表情、言葉、図、写真、音、創作物など何かしらの方法で表してくれない限り、周りに伝わりません。察する能力も限界があります。なので、理解しりきれないものだとひしひしと感じます。
最後に
私自身が適応障害になって実感したことは、自己受容や自己理解をし、同じストレスにさらされた時に対策を持てているか、自分の人生や仕事をこれからどうしたいか目標を見つけること、これが必要なことだったと思います。
病者の役割をこちらでも書きましたが、
社会に戻るための役割を担っていけるよう、パートナー本人には知識が必要だったんだろうなと。
書いていて、私の反省文みたいになっています。ですが、結婚生活をしていて同じような境遇の人が多いことを知ったのも、安心というか衝撃でした。今後も性別や年齢問わずこういう環境出てくるのかななんて。
この記事が、自分自身を認められるきっかけのお役に立てたら幸いです。また次の記事でお会いしましょう。
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