こんにちは、ヒョーかるです。私は福祉業界で適応障害や休職、復職を経験し、転職をしました。飄々と軽々と過ごせるような適応障害との暮らし方や気づきをお届けします。
今回は、初めてコロナウイルスに罹った10日間のことを書いていきたいと思います。私の経験談を中心にお伝えします。
2024年8月中旬、私自身初のコロナウイルス罹患し、現在はコロナ後遺症として2ヶ月強になるであろう休職をしています。現在も症状が継続しているので自宅療養や日常生活を送れるよう活動をしています。
初コロナ陽性と分かった日
2024年8月15日の昼前。寒気と悪寒、体の痛み、微熱っぽさが出てきた。仕事が3件終わったところで体に出てきた違和感。上司に体温計がないか聞き、熱と体の痛みでインフルエンザの予感がすると伝えて休憩に入った。
昼間の気温は35℃以上が続き、暑い。しかし、寒気のする私にとっては体が包まれる心地良い気温であった。冬場と夏場の休憩所としているベンチが空いているのを確認し、座った。
全身が痛くて寒いので、リュックに入れてある鎮痛剤を飲んだ。
「病院行った方がいいやつだな、飲んだら症状が軽くなってしまうけどいいか」と思いながら飲んだ。
休憩が終わるので職場に戻った。35℃以上の暑さが体の痛みを和らげてくれる。鎮痛剤が効いて熱が少しおさまってきた。けれど23℃の冷房が効いた職場は全身の痛みに刺さるので、冷房のない事務所がとても過ごしやすかった。
不思議だ、真夏なのに冷房のない暑い部屋が過ごしやすいなんて。やはりインフルエンザだ。
とてもじゃないけれど仕事のメインフロアに出られない。PCのチャットで寒気と体の痛みがあるので出られないことを伝えた。上司が休憩から帰ってきたところで、状態を伝えると「早く帰りな」ということになり、台風も近づいていたので念のためPCも持ち帰った。すぐに心配な声で返答いただけてありがたかった。
帰り道、鎮痛剤が効いた体のためか、数日自宅へ籠るために必要な食材を買おうと決めることができて、症状が出ているとは思えない動き方ができた。
とは言っても遠出ができる気分でもないので、病院は一番近い耳鼻科に行くことにした。検温すると37.2℃の微熱だった。訪ねた日は代替医師の日であった。前にも診察を受けた淡々としている医師。だから適当なのかな、患者が言うことのみ答えるAIより愛想の悪い医師。
コロナとインフルエンザの検査を希望することを伝えた。結果はコロナ陽性だった。
2020年から流行ったコロナウイルス。ずっと食事と睡眠に気をつけていて自信があった。まさか今更、罹るなんて。大きなショックではなかったけれど、ついに私も罹ったのかと思った。
代替医師は「これで診断が出たので薬を出しますね」と決められたセリフを言っていた。薬局では丁寧に説明があり、症状に合わせて飲むように言われた。
職場にはコロナ陽性になったこと、5日間待機のため8/20まで休むことを伝えた。その後、水分と栄養は摂らなければと、おかゆを作り、冷蔵庫にあるおかずをエネルギーにしてその日は終わった。
コロナ罹患1日目〜5日目
1日目:微熱が上がってきた。朝ご飯を作って食べ→薬を飲む→発熱をして汗をかく→昼ご飯を…の繰り返しだった。熱は38℃まで上がり、汗もかいたので検温をしてからシャワー浴にした。
2日目:朝は平熱になったけれど再度上がって夜に38℃になった。たまに咳が出るようになった。Tシャツ、ズボン、タオルは毎回洗濯。敷布団も汗が染みてしまった。
コロナだから誰も近づける状態ではないし、助けは得られないから、洗濯と食事は「自分でやらないと」と思い動いていた。
3日目:発熱と発汗の繰り返しで熱は朝から落ち着いた。代わりに咳がよく出ていた。平熱になりようやく体が少し動くようになったので、好きなアニメを一気に視聴した。続きが配信されていないので、ネタバレブログを読んでその日はあっという間に過ぎた。久しぶりにエンタメを楽しめることに嬉しさもあった。咳は一日中ずっと出ていた。
4日目:咳がおさまらないので、陽性診断を受けた耳鼻科へ咳止めをもらいに行った。
「コロナは長引くからね~」と茶化されるように言われた。錠剤が切れているのでシロップの処方だった。小児用の入れ物で「はやくよくなってね」と書いてあり、なんだかあたたかさと懐かしさを感じてしまった。
このまま咳が残ったらどこに相談しようかと、なんとなく以前お世話になった呼吸器内科を調べていたところ、コロナ後遺症について記事を書いている病院が地域にもあることを見つけた。
5日目:自宅療養期間までに熱も下がり、咳も咳止めで落ち着いてきたので、明日からの出勤の準備やお弁当の準備をした。お見舞いに顔を出してくれる人がいて、心細い状態にホッとして涙が出た。
暑さで歩くのは辛いけれど、必要な買い出しもしたかったので、バスを使って移動をした。この時は自宅療養をしていたことでの体力低下だと思っていた。
この療養期間、起きる時間もほぼ崩さず、シャワーもして清潔を保ち、洗濯もし、食事も3食何とか自炊をして栄養を摂るように努めた。振り返るとかなり無理をしていたと思う。
家族や友人たちにも明日から出勤してきますと連絡をし、夜を迎えた。
コロナ罹患6日目〜出勤してみたけれど〜
6日目:変わらず5:00台に起きて、台風に備えて持ち帰ったPC、お弁当を持っていつもより重いリュックを背負って出発した。
きっと療養期間で体力が落ちているから、満員電車には耐えられない。1本遅れても問題のない時間をみて、多少混雑の少ない路線で出発した。気持ちは楽であった。少しでも空いている路線は本当に心の余裕ができた。
幸いなことに途中で座席に座ることができた。楽になるはずだったのに、座って1分もしない内に両足が痺れ出した。PCの入ったリュックを膝に置いているからだと思い、荷物を床に置いた。
「血行が悪いのかな、5日間家を出ないことでこんなに脚力が弱ったのかな」と思った。
荷物をどかしたのに痺れは変わらない。座り直しても変わらない、というより座っているとじんじんして靴の中で足を動かしたくなる。正座で座る痺れのものではない。
どういうことか分からずに乗り換えをし、その車両でも途中から座れた。荷物は床に置いているのに、数秒も経たない内にまた両足が痺れてきた。おかしい、座り直しても変わらない。振り返ると一番最初の違和感だったのかもしれない。
到着駅を降り、徒歩約10分弱の職場までの道のりをゆっくり歩いた。時間もなんとか5分前に到着しそうなペース、歩いている時は辿り着くのに必死だった。
職場に着いて、エレベーターに乗ったら息が切れていた。
「到着して安心したのかな?」とこの時は思った。
職場のフロアに着いてドアを開け、挨拶をした途端、息切れをしながら声を出していることに気づいた。目の前にある椅子にリュックを置いた途端、ゼェハァ言いながら全身で呼吸をしていた。
その様子を見た同僚も「大丈夫ですか?」と声をかけてくれて「こんなに息が上がっているなら、まだ休んだ方がいい」「今日は帰りましょう」と。
その瞬間なのか皆さんの顔を見て安心したのか、私は涙が出てきてしまった。
心の中で「え、私、今日仕事できないの?そんなにすごい状態なの?」と受け入れるのに数秒かかった。
簡易ベッドを用意してもらい、同僚の女性から「私も上司も同じ時期に罹って、1週間や上司はもっと休んでいたから」と言葉をもらった。結局その日は帰ることになったけれど、あまり帰り道を覚えていない。
コロナ罹患7〜10日目
7日目:持ち帰ったPCを使って在宅勤務ができるか試すことにした。1時間経つと、頭に疲労感をやけに感じ、2時間半の勤務をしたら同じくらいの休憩が必要になり、午後は2時間ぐっすり横になっていた。
在宅でできる範囲の内容はこなせることがわかったので、翌週の月・火曜日は在宅勤務をすることになった。
この頃から「コロナ後 疲れやすい」と検索して自分の状態を確認したり、数日前に見つけたコロナ後を見てくれる病院を中心に目星をつけていた。
8日目:ゆっくり過ごしていたが、体力を維持するために朝と夕方にウォーキングへ出た。すると、10分で疲れが出ている。息が切れる感じだ。
「脚力が弱ったから?私の体はどうしてしまったんだろう」
9日目:午前中はぐったりとしていたので、土曜日の午後も診察している病院へ行った。
土曜日は代替医師「倦怠感は主観ですからね」と言われて、漢方薬を処方された。代替医師と分かっていても処方は仕方ないとして冷たい。少しでも体力を回復したかったので、少し買い物をして帰宅した。この日はイベント日で病院近くは通常だと有り得ない人だかりだった。その雰囲気に圧倒もされ、おぼつかない足取りで帰宅した。
頭と体が、何かをやるといつもより疲れる感じがした。移動のバス内では座って頭を保つことができず、壁にもたれて耐えていた。高齢者に譲れる状態ではない。
翌週の月曜日から在宅勤務だけれど、一人暮らしの家でできるのか不安であったので、実家を頼ろうかと考え始めていた。
10日目:出来ていなかった掃除や洗濯をしていた。家事のスピードがどんどん時間がかかるようになっていた。自分の力でできる限界を予感した。実家へ行くことを決め、お世話になることになった。お見舞いに来てくれた人がいて、自分の状況と実家にお世話になることを伝えた。出発準備をするのに、以前の倍の時間がかかるようになっていた。
最後に
以上が初めてコロナウイルスに罹った10日間、についてでした。
振り返ると、なんとか仕事の時間があれば生活リズムも維持できると自分を追い込んで縋ったり、疲労度や体がおかしい状況を受け入れたくなかったのかもしれません。
実家に頼る決断ができたのは自分の中で成長したなと思います。
コロナ後遺症に悩まされた、現在後遺症に苦しんでいる・向き合っている、周りの人で後遺症になっている人がいる、そんな方々へまず伝わっていけたらいいなと思います。
この記事が、自分自身を認められるきっかけのお役に立てたら幸いです。また次の記事でお会いしましょう。
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