こんにちは、ヒョーかるです。私は福祉業界で適応障害や休職、復職を経験しています。飄々と軽々と過ごせるような適応障害との暮らし方や気づきをお届けします。
今回は、休職前に何があったのかについてを書いていきたいと思います。
仕事と家庭のストレスで私は休職しました。そのため、仕事編から書いていきたいと思います。感情的に書いている部分もあると私は感じています。読むと気分を害したり、気分が重くなる内容なので、体調がよくない方は読まないでください。
休職前に何を防げるといいのか知りたい方、どんなことでヒョーかるは休職したのか、そんなことを知りたい方は読み進めてください。
発症3年前
私は新しい部署に行きました。利用者の方と直接関わる仕事から、利用者の方や家族の相談を受ける仕事へ異動しました。そこは新設部署で、私を含め2名で始める部署でした。
立ち上げを任され、私も望んで配属された場所でした。
一から作り上げることの楽しさと、全て一任されていることにやりやすさもありました。
1人1人アセスメントをして記録をし、必要な書類作成、電話応対、その人を取り巻く外部先との関係作りをしました。
後任にもわかりやすく記録を残すことを優先して作っていました。それを頭に入れていたのは、2つ理由があります。
「引き継ぎはしっかりしておくこと、って言われてたからやる」
1つ目は前の職場で異動する先輩が、他の職員に対して言った言葉が頭に残っていました。私もその職場を退職する際、引き継ぎ資料を残しました。
引き継ぎ資料を作って感謝をされたため
新入社員で配属された職場は、立ち上がったばかりの業務への入職でした。
マニュアルもなく、先輩より引き継ぎは1ヶ月以内で終わり、その後は独り立ちでした。日々自分のメモや覚えたものを頼りに、ルーティンでできた流れや感覚で日々業務していました。正直、とても辛かったです。こんな思いは後任にはしてほしくないし、辞めるには残しておかないと恨まれそうだなと思いました。恨みは私の感情だと思います。
そのため、発注や在庫管理、資料作成タイミング、外部先への連絡時期や留意するポイント、好まれるものをスケジュール一覧にて1枚で確認できるようにまとめて退職しました。
それをしたおかげで感謝されたことがあり、引き継ぎを残して良かったと思ったためでした。
2つの理由より、アセスメントで聞いたものは気持ち悪いくらい全てデータに打ち込みました。ここは苦ではありませんでした。
2名部署の相方との関係は問題なく、むしろちょうど良い距離感でできる関係でした。
各々でスケジュール管理が必要な部署のため、自己管理ができる人が向いている仕事でした。その点もやりやすかったのですが、相談業務の罠にハマる2年目から色々出てきました。
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