カウンセリングってどうだった?

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復職の経験談

こんにちは、ヒョーかるです。私は福祉業界で適応障害や休職、復職を経験して、これは飄々と軽々と生きていけるんじゃないか?と学んだことや思ったことをコツコツお届けしたいと思います。

今回は適応障害になって受けていたカウンセリングについてどうだったか書きたいと思います。

「カウンセリング」はメンタルヘルスを損ねた人や精神的な病気を持った人のみが使うもの、または別世界のものと捉えている人が今も多いと思います。私は受け続けてみてよかったです。そして生活の中で身近なものになれば、もっと楽に生きられるんじゃないないかなと感じています。

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カウンセリングの空気感

初めてカウンセリングを体験した時は大学時代でした。大学でのスクールカウンセラーのカウンセリングの時間はとても暖かな時間だったため、安心して話ができました。

その後、紹介された精神科・心療内科の病院は、待合室や担当医師の部屋の空気感が重々しくてびっくりしたのを覚えています。

適応障害と休職・復職でのカウンセリングは利用率が社会人メインであったため、時にはあっさりと時には親身にと、適度な距離感で臨床心理士やカウンセラーが関わってくれました。私にとっては大学時代とは別の安心感を得ながら話ができました。

次からはカウンセリングで良かったことを挙げていきます。

自分の気持ちを話す練習時間だった

いつの間にか私は自分のことを話す経験が苦手になっていました。

「人の話を聴く方が自分の話をしなくていいから楽」そんなことを10代の頃に感じていました。それが積み重なって社会人になり、人と関わる中で自分のことを知っているつもりでも言葉にしようとすると、うまく説明できない自分がいることに気がつきました。

また、自分の気持ちを押し殺した方が周りがうまくいく経験をしてくると、より自分のことを話す機会なんて作らなくなり「それが通常」になりました。

カウンセリングは嫌でも自分の内面や気持ち、移り変わりと向き合う時間です。

気持ちを表面化してくれたり、引き出してくれる時間が「カウンセリング」だと、私は適応障害と休職・復職の通院中に感じました。否定もなく話せる時間、ただ受け止められる時間でした。

そこを過ぎると「~~の出来事について自分はどう捉えたのか。自分が感じて捉えたのか、周りからの影響で捉えたのか」「○○と思ったことは△△と関係しているのか」「職場ではどんな自分でありたいのか?」と客観視して自分の気持ちに向き合う時間になりました。

病気の治療が目的ではあるのですが、私は「話すことの経験を安心して詰めた」「自分の気持ちと向き合う練習時間だ」と感じました。



気持ちの整理ができたから楽になった

私は人に愚痴を言うこともできませんでした。「愚痴は悪いもの」そんな認識であり、言葉にすることが自分を低くする、醜くするものだと思ってました。これは母親と祖母の影響です。

なんでも話す母親は私にも父親や父方の祖父母を悪く言っていました(悪く言う=困りごとです)。祖母は自分のことより近所の人の話が中心で、こちらも悪い話や噂話が8割でした。

その空気感や内容が私は苦手であったため「なんでこんなに人のことを悪く言うんだろう」と思いながら、祖母と母親が話し込むとその場を避けていました。

ですが、カウンセリングで安心して話せる環境を得てから「愚痴をこぼした後に本当の自分の気持ち」が出てきました。自分の目線から一歩引いた目線で物事を捉えると楽になることがわかり、仕事や日常でのモヤモヤや困りごとが解決する段階になりました。気持ちの整理をする段階のものとして楽になる体験が大きくなり「話すことも、愚痴も、大切なことなんだな」と思えました。

また「雑談は無駄なもの」と私は捉えていました。身になる話、役立つ話でないのになぜする必要があるのか?と今も少なからず過ぎることもありますが、カウンセリングを通して、むしろ雑談は人とのコミュニケーションを円滑にするもの、頭の栄養にとっても必要なことと実感できるようになりました。

最後に

話すことって苦なくしている方が大半かと思いますが、私は本当に経験不足だったんだなと書いてみて思いました。言いたいことだけ話すこと、人に伝えるために話すこと、シンプルだけど難しいですよね。コミュニケーションってだから面白いのかもしれません。

「コミュニケーションの練習台」私はカウンセリングはそう言うものだと思っているので、身近な時間、身近な道具になったら楽になるんじゃないかなと考えています。

この記事が何かのお役に立てたら幸いです。また次の記事でお会いしましょう。

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