つまらん時は期待値を下げる

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かるがルーティン

こんにちは、ヒョーかるです。私は福祉業界で適応障害や休職、復職を経験しています。飄々と軽々と過ごせるような適応障害との暮らし方や気づきをお届けします。

今回は、つまらないなと感じた時は「こうしていると気持ちの落差が減るな」ということを書いていきたいと思います。

送別会やお花見、歓迎会の風潮も戻ってくる環境もあるかもと思います。対処法も番外編の最後に少し書いていますので、参考になりましたら嬉しいです。

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なんでつまらんと感じるのかな

楽しみにしている予定やイベント、久しぶりに会う人と会えること、新しい場所や体験すること。とてもワクワクして、期待をします。自分が思うような楽しみを感じられたら一番幸せですね。

「思ったのと違う」と感じる時もありませんか?

例えば、楽しみにしていた好きな人や久しぶりの人と会う予定。楽しみにしていたインフルエンサーやアーティストのイベント。楽しみにしていた商品が届く…など。楽しみにしていて予想通り楽しい時間を過ごせる日もあると思いますが、毎回そんな終わり方をしていることはないかと思います。「あれ、今日はこんな感じ?イメージしていたのと違う」と。

楽しいことだけでなく、助けてほしい時や「これをすれば自分の問題が解決するんだ!」とすがりたい時もあります。自分の期待するものが手に入れば、それは救われた気持ちになります。思っていたことと違うと「助かると思っていたのに!」と落胆して不快な気持ちになることもあります。

知らず知らずのうちに私たちは、自分が期待しているものを浮かべたまま楽しみに向かい、期待している以外のことが手に入ると「なんか違う」と感じます。そして「つまんないな」「もういいや」と判断が下ります。

どんな~~になるだろうな?

私は、人と時間を決めて朝活に挑戦してみました。その時に「きっと朝活楽しいんだろうな♪」と期待するより「どんな朝活になるだろうな?」と少しのワクワクとフラットな感覚(平らな、起伏のない)で捉えていました。初めてやることだから、うまくいかないこともあるし、思ったよりうまくいくこともある。まず自分が「起きられるのかな?」という不安もありました。

期待値が上がるから落胆する

私は今まで「思ったのと違う」と悶々する時、8割は「楽しいんだろうな」「何か手に入るんだろうな」と期待していることが多かったです。

「楽しいかもしれない」「何か得られるかもしれない」と期待を下げている方が「面白かったかも」「やってよかったな」と思う気持ちが倍増していました。

期待値を下げるとは、悲観的にみる、疑ってみるとは少々違います。「どうせ大したことない」「本当にこんなことでうまくいくの?」と言う意味合いではなく「どんなイベントなんだろうな?」「この時間はどんな時間になるんだろうな?」と良し悪しの判断をする前のフラットな目線でいることです。

期待しなくて「つまらん」それは正直な気持ち

期待値を下げて「これはつまらん、期待はずれだった」と感じたら、それは正直な気持ちです。自分に合う、合わないの判断材料に十分なります。

「どんな出来事になるだろう?」と期待値を下げて探究心を持って物事をみると、感情の振れ幅を減らしたり、判断の材料になると私は思います。

番外編:能動的に楽しさをつくりだす

ちょっとそれますが、この時間はこんな状態にして終わろうとゴールを作っておきます。

人と話すのであれば「私は心地よく穏やかに、相手は生き生きと表情は笑顔で」とイメージを。イベントごとの時は「私は安心してその場を楽しみ、周りは盛り上がっている」なんてイメージを。

この終わりのイメージをしておくと、途中で自分の気分が「なんだろうこの時間」「思っていたのと違う」と過った時「私は今日、どんな気持ちでこの時間を過ごそうとしていたんだっけ?」と気づくことができます。気づけたらラッキーです。気づいて「自分は心地よい時間にしたかったんだ」と終わりを思い出せたらゴールに向けてその時間を楽しめます。

おそらく送別会やお花見、歓迎会の風潮も戻ってくる環境もあると思います。参加しなくてもいいですが、断れずに気が進まない場合は「私は今日、何時までに出るぞ」と終わりを決める、または宣言する。こんなのもゴールを作る大切さです。

そして、朝活はおかげさまで心地よく続けさせていただいています。ご一緒させていただいている関係に感謝です。この記事が何かのお役に立てたら幸いです。また次の記事でお会いしましょう。

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