こんにちは、ヒョーかるです。私は福祉業界で適応障害や休職、復職を経験しています。飄々と軽々と過ごせるような適応障害との暮らし方や気づきをお届けします。
今回は「群れない姿がかっこよかったです」と手紙でいただいた出来事から、群れる行動はできる時もあるけれど、群れないのが通常だと思っていたことを書いていきたいと思います。
今回は大人数で動くことや集団行動を手紙と同じ「群れる」と表現します。
群れない姿を振り返ってみる
小学校
低学年時は、なんとなく7~8人で集まっていました。
この時、強烈に覚えている場面があります。7~8人もいると「話すタイミングが掴めない」ことでした。しかし「私も話したいのに」という欲はあまりなく「へぇ~」と聴いていることが多かったです。
中学校
遠足や修学旅行ではよく「ヒョーかる~」と探されることがよくありました。
修学旅行で自分がじっくり見たい部分と全体に案内される動きが違うようで、よくグループや列から離れることがありました。あまり怒られることはなかったので、迷子にはなっていなかったと思います。
高校
初年度の1年目あたりは6~7人でいましたが、全員でトイレへ「あ、私も」といくことや、全員揃ってから昼食を食べ始めるという行動に疑問を感じ始めました。「待っていてくれてありがとう」ではなく「待っていてもらって申し訳ないな、先に食べ始めてもらっていいのにな」と言う気持ちが強かったです。時に昼食は早弁をして時間をずらしたり「今日は一人で食べるね」と一人行動を自分から行うようになりました。時に一緒に早弁する子もいました。
この頃から「大人数で過ごすより、一人ひとりとじっくり話す方が、その人をゆっくり知ることができるなぁ」とぼんやり心地よさを感じるようになりました。
そして、進路を決める際、人によっては「◯◯と同じ学校に行きたい」と進路を決める人もいます。私は反対に「せっかく進学するんなら、就職するんなら、まったく知らない人たちがいる場所に行きたい」と思うようになりました。そう感じた背景に、中学時代からの親友たちは、私を含め全員異なる進学先へ行きました。そして集まる時、皆バラバラの制服を着て過ごす中で「やばい、みんな制服が違うのって、みんな違う学校に行ってるのってカッコイイ」と一人静かに魅力を噛み締めていました。
根底には「違うステージに行くなら、全く違う自分でいたいな」という本音がありました。
大学
学部の専攻コース自体が10名以下の少人数であったことと、楽器練習や論文執筆、課題に取り組むことが各々一人であったので、独立して大学生活は過ごしていました。
集団から外れる突出した行動はありませんでしたが(おそらく)、代わりに1人で考えて動くことに拍車がかかりました。
この頃から「早く歳を取りたい」と思うようになりました。その理由としては、専攻していたコースが人生経験も技術となる学部であり、そのため「経験を早く積みたいな」→「早く歳を取りたいな」と思うようになりました。
社会人
飲み会や歓送迎会は強制慣習でしたが、そこまで嫌ではなかったので3年目までは参加していました。
しかし、4年目からは後輩が入ってきた環境もあり、若い世代に影響されて「業務じゃないのになんで?」「馬鹿騒ぎがストレス発散にならないんだよなぁ」「値段の割に食べられなくて時間ももったいないし」という思いが出てきて、徐々に不参加になりました。
人の話を聴くことは今も好きです。
しかし、大人数で動くことや集まることは好きじゃないんだなと自覚できたのは社会人になってからのある手紙でした。
「これでいいんだ」と思えたきっかけ
ある年、異動する職員から手紙をもらいました。その中に「群れない姿がかっこよかったです」と書いてありました。私はその時「群れない姿?どんな?」と自覚がなかったんです。
うーんと思い返すと、今まで書いてきた行動があり「あ、これが群れない姿?そうなんだ?」とぼんやりと納得できたんです。
最後に
現在も関係性が続いている親友たちは、ペースの違う私を当たり前のように受け入れてくれるので、私は群れないことが通常だと思っていたのです。
親友たちといることはとても心地よいし、協調性が必要な仕事は苦ではありません。群れることもできるけれど、自然と必要な時以外は積極的には群れないんだろうなと振り返って思いました。
この記事が何かのお役に立てたら幸いです。また次の記事でお会いしましょう。
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