適応障害の暮らし「コミュニケーション編」

広告

適応障害との暮らし

こんにちは、ヒョーかるです。私は福祉業界で適応障害や休職、復職を経験しています。飄々と軽々と過ごせるような適応障害との暮らし方や気づきをお届けします。

今回は、適応障害と付き合ってきての暮らしを5つに分けて書いていきたいと思います。今回は「コミュニケーション編」として、「やめたら楽になったな」と思ったことを書いていきたいと思います。特に職場で実践を積んで、身につけたことが多いです。

スポンサーリンク

人を気にかけること

誰に対しても見境なく人を気にかけることをやめました。特に職場です。

自分と関係ないところで落ち込んでいたり、泣いていたり、何かに対してムスッとしている人、イライラしている人にも気を回していました。

これをしなくなった私の取り組みは3つあります。

1つ目がマインドフルネスです。数分間自分の呼吸に集中することで、周りで何かが起きて注意が逸れた時に「私は今、何をしていたかな?」とスッと戻れるようになりました。
2つ目が「嫌われる勇気」を読み「課題の分離」について理解し、実践したことです。

落ち込みや怒りは誰の感情か、私なのか、相手なのか、そこに気がつくと
「あなたは怒っている、私はそれを見ている」と客観視ができます。

こちらでも書いています。

3つ目は「今までのやり方で休職したから、違うやり方をする必要がある」と思うようになったからです。他の項目でもベースになっている気持ちです。

とある本か動画だったと思います。
「休職する前に戻りたいです」という患者さんに対して

「『休職する前の仕事の仕方で、今、休職しちゃったんだけど、元に戻りたいの?』って私なら返すよ」と答えている医師の言葉を何かで見たことがありました。
腹落ち感がとてもありました。

この3つをしたことで、職場では時間を確保でき、優先順位がつけられるようになりました。

変わらない人に時間を割くこと

新しいことをお伝えしたり、一緒にやったり、時に見守ったり、時に質問したり、文書で伝えたりと様々な方法で関わってみます。それでも変わらないことがわかったら、その人に時間を割くことをやめます。

見て学ぶ人、耳から学ぶ人、肌感覚から学ぶ人、体験して学ぶ人、書いて学ぶ人、覚えやすい領域や覚えやすい方法が皆さんどこかしらあると思います。私は耳から学び、体験して学ぶ方がスッと入ります。

人によって身につけてきた家庭環境や学習方法、元々持っている特性がバラバラであることがわかると、どこからアプローチをするといいのか見えてきます。

それでも変わらない人や場面はあります。「こういう人は、こういう時は、そういうもんだ」と思うようになりました。

私は自分にも「どの領域が覚えやすいのか」の視点を使うことで「耳から学び、体験して学ぶ」ことに気が付くことができました。

わかりあうこと

言葉を尽くしても、関わりを変えても、体験していないことや情報として知らないことに対してわかってもらうことは限界があります。「理解はできるけれど、共感はできない」こと、私もあります。それでいいのだと思います。

そのため、こちらでも書いていますが、

ケアをしている家族や周囲の方々、「本人の気持ちが向くまで見守る」の理解はしてもらいたいけれど、全ては受け入れられないと思います。
寄り添ってもらえる存在がいるとありがたいです。
しかし「私には無理だな」と思ったら、無理に寄り添う必要もないと経験者の私は思います。
「こんな人もいるんだ」「こんな病気があるんだ」と知っておいてもらうだけでも、私は嬉しいです。

当ブログ参照:「適応障害と周りに伝えるか?」より

わかりあう近くまでできたら、もう満点なんだと思います。

期待すること

幼少期は「残念な結果に予想しておく方が、心のダメージは少ない」という方法で、心のクッションを作っていました。その瞬間はダメージを受けずにやり過ごせるのですが、これを続けていくと人や自分、出来事、将来への希望が失われ「誰も何も信じられない」という境地に至ります。私は高校時代にこれになりました。高二病ですね。

期待することをやめることは「どうせダメだ」という心持ちではないです。

そして「きっといいことに違いない、絶対何か手に入るに違いない」と断定した期待をすることでもないです。

「何かいいことあるかもしれないし、ないかもしれない。何か手に入るかもしれないし、何も入らないかもしれない」と期待する結果をイメージしないことです。

これができるようになると、思うより充実していたと実感したり、思っていたのと違う!と心を振り回されにくくなったり、アイディアが浮かびやすいこともありました。

誘いを選ばないこと

「こんな私を誘ってくれたのは申し訳ない」という気持ちがベースに強くありました。学生時代や社会人数年の頃は予定を常に入れており、自分のために休息を取るなんて言葉は、知りもしませんでした。

全てに応じていると時間も労力も電池切れになり、体が休まらない休日を過ごすことが多かったです。職場で優先順位をつけられるようになると「私はこれで何をしたいのか?」「私は本当にこの誘いに乗りたいのか?」と自分の感覚や気持ちに問いかけるようになりました。これは肌感覚に似ているかもしれません。

アサーティブコミュニケーションの誠実に率直に伝える方法を身につけたことで「断る」というコマンドを手に入れました。

うまくいかない時に手をかけること

日々のルーティーンや仕事、日常生活で不具合が起こった時、そこから改善するために調べたり別のことをする方法をとっていました。しかし、あまり良い状況になることが、復職後はなかったです。

今までのやり方ではないことをやってみることで「手放す」ことを身につけました。

それの一つが「朝ごはんは食べたくないなら、食べない」でもありました。

関わりすぎて拗れる、手を加えすぎてごちゃごちゃする、そんな経験ありませんか?

最後に

仕事で優先順位をつける癖がついたこと、気になる暮らし方の情報を取り入れたことで、自分にとっても本当に大事なこと・人、大切にしたいこと・人、を再認識することができてきたのだと思います。これは年代で、ライフスタイルで、変化していくものだと思います。

以上が、現段階での私の「コミュニケーション編」、やめたら楽になったことになります。

この記事が、自分自身を認められるきっかけのお役に立てたら幸いです。また次の記事でお会いしましょう。

コメント

タイトルとURLをコピーしました